東京高等裁判所 昭和51年(ネ)482号 判決 1979年5月14日
控訴人
小俣義行
同
小俣かね
右両名訴訟代理人
児玉義史
森田昌昭
被控訴人
国
右代表者法務大臣
古井喜實
右指定代理人
成田信子
外一〇名
主文
本件各控訴をいずれも棄却する。
当審における予備的新請求を棄却する。
控訴費用(当審における新請求に関する分をも含む)は、控訴人らの負担とする。
事実《省略》
理由
第一原判決の手続の違法の有無について。
原審裁判長である判事蕪山厳が昭和五一年一月一日東京高等裁判所判事に転補されたことは顕著な事実であるが、当裁判所が職権により調査した昭和五三年六月二七日付東京高裁人第六六八号東京高等裁判所長官戸田弘名義の証明書によると、同判事については、昭和五一年一月一日から同年一月三一日まで東京地方裁判所判事の職務代行が発令されていることが認められ、これは裁判所法二八条一項の規定に基づくものであることは、明らかである。
したがつて、東京高等裁判所判事蕪山厳は、昭和五一年一月三一日まで東京地方裁判所判事の職務を適法に遂行することができたものである。
この点に関連し、控訴人らは、右職務代行の発令手続の違法をいうが、高等裁判所が「地方裁判所において裁判事務の取扱上さし迫つた必要がある」と認めてその高等裁判所の裁判官に当該地方裁判所の裁判官の職務を行わせることができることは裁判所法二八条一項の明定するところであつて、判決の署名捺印のみに関する民訴法一九一条三項の規定の存在は右職務代行の発令を妨げる事由と認めることはできないから、控訴人らの右主張は理由がない。(なお、右裁判官あての東京高等裁判所長官の職務代行発令通知は、昭和五〇年一二月二六日付けをもつて宛名を「東京高等裁判所判事蕪山厳殿」と表示してなされているが、右は、東京高等裁判所判事に転補予定の右判事に対し東京高等裁判所判事としての在職期間中の職務代行期間を通知する趣旨で記載されたものと認められるから、右通知になんらの誤りはなく、ましてこれをもつて右職務代行の発令の違法を主張するのは当らない。)
ところで、原審判決の言渡が同判事の職務代行期間経過後の昭和五一年二月一二日になされたことおよび同判決に右判事が裁判長として署名捺印していることは記録上明らかであるけれども、記録上明らかな原審口頭弁論終結の期日が昭和五〇年一二月一七日であること並びに右期間経過もわずか二週間足らずであることからみれば、原判決原本は、前記職務代行の期間内に作成されて完成していたものと推認するのが相当であり、右推認を覆えすべき事情の存在は窺えない。したがつて、右判決原本の作成は適法に行われたというべきである。
この点に関連し、控訴人らは、判決は言渡によつて効力を生ずるから、判決言渡当時当該裁判所の判事でなくなつた場合には、たといその前に判決原本が適法に作成されていても、言渡により判決の効力を生ずるものではないと主張するけれども、裁判所を構成する判事が適法に判決原本に署名押印を終了していれば、内部的には判決は適法に成立し、その後に右判事の全部または一部がその裁判所判事の職務を遂行することができなくなつたからといつて、その判決原本の適法性が害われることはないこというまでもないから(もし控訴人らのいうとおりとすると、判決原本に署名押印した判事がその後言渡前に退官、死亡等した場合には、適法に成立した判決原本に基づいて判決の言渡をすることすらできなくなる。)、控訴人らの主張は、独自の見解であつて、採用できない。
第二本案についての判断
一訴外亡小俣朝夫が昭和一二年一二月一五日控訴人らの長男として出生し、同三二年九月四日航空自衛隊に入隊し、同三九年九月当時は二等空曹として人員および物資の輸送の任務に従事していたこと、昭和三九年九月一〇日同人の塔乗した航空自衛隊航空救難群芦屋分遣隊所属ヘリコプター(H―二一B〇二―四七五五機)が、山口県見島分とん基地への定期運航のため同日午前九時二六分福岡県遠賀郡芦屋基地を出発して、板付飛行場において人員、物資を塔載し、有視界飛行方式で見島ヘリポートへ向つたところ、九時五九分、離陸地点から北2.2カイリ、推定高度約六〇〇フイート(福岡県粕谷郡粕谷町柚須上空)で、突然後部ローター・ブレード(回転翼)一枚が飛散し、機首を上に、後部胴体がほとんど垂直に下がつた姿勢で水田に墜落し、その結果、搭乗員等九名中右朝夫を含む八名が死亡し、一名が重傷を負つたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
そして、右ローター・ブレードの飛散の原因が、このローター・ブレードをさしこみ固定するための筒型の器具である金属製ソケツトの内側にツールマーク(製作時の切削痕)が存在し、これに応力が集中した結果、右ソケツトが疲労破断したことにあることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右ツールマークはソケツトの製造過程における切削工具による極めて微細なきずであつて、本件事故後航空自衛隊の航空事故調査委員会においてなされた右ソケツト破断面の顕微鏡による検査において、これが発見されたことおよび同検査において該ツールマークが、ソケツトの内側段ちがいの部分に応力の集中を避けるためにつけられた曲面に存在し、そこから破断がはじまつていることが判明したことが認められる。
控訴人らは、本件事故の原因につき、本件ヘリコプターのシヤフトが長いためにローター部の振動が激しく、シヤフトとローターの接続部分がこわれやすかつたことも一因である旨主張するが、<証拠>によれば、本件ヘリコプターは、エンジンによつて発生した動力がエンジン・ドライブ・シヤフトによつて中央部トランスミツシヨン(伝動装置)に伝動され、該装置および前部と後部の各ドライブ・シヤフトによつて前部と後部の各ローター・トランスミツシヨンに伝動される仕組みになつていること、後部ドライブ・シヤフトについてみると、該シヤフトは四個所において機体に固定され、当該部分はそれぞれベアリングによつて振動の緩衝が図られており、又後部ローター・トランスミツシヨン自体の内部にもベアリングによる緩衝機構が存在することが認められ、この点において特別に問題があつたとは認められず、控訴人主張のような欠陥はこれを証するに足る資料がない。控訴人らがいう機体の原因不明の振動、不調について、<証拠>の記載も、前記各証言に照らすと、的確な証拠とするに足りない。
したがつて、本件事故は、結局、本件ヘリコプターの後部ローター・ブレードのソケツトに存在するツールマークに応力が集中し、そのためこれが疲労破断し、その結果として、後部ローター・ブレードの一枚が飛散したことにより生じたもので、他に事故の原因は認められないというべきである。
二国は、国家公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理にあたつて、国家公務員の生命および健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負つているものと解すべきであり、本件のようにヘリコプターに塔乗して人員および物資輸送の任務に従事する自衛隊員に対しては、ヘリコプターの飛行の安全を保持し、危険を防止するために必要な諸般の措置が要請されるところであり、右措置の中にヘリコプターの各部部品の性能を保持し、機体の整備を完全にすることが含まれることは当然である。そして、本件事故が本件ヘリコプターのローター・ブレードを支えるソケツトの内側に存したツールマークに起因することは前記のとおりであり、ソケツトが重要な航空機部品の一つであることは疑いをいれないから、本件における被控訴人の安全配慮義務違背の有無を判断するにあたつては、本件事故当時本件ヘリコプターと同型機であるH―二一ヘリコプターの部品、なかんずくソケツトについて航空自衛隊の整備体系上どのような整備がなさるべきものと定められていたか、本件ヘリコプターのソケツトについて、定められたとおりの整備がなされていたかどうか、ならびに右整備体系そのものに不備がなかつたかどうかの諸点を検討しなければならないというべく、控訴人らが原審および当審を通じ縷々主張するところもその主要なものは右に尽きると解される。
もつとも、控訴人らは、右のほかに、本件ヘリコプターのローター・ブレードが木製であつて過度に疲労していたのに、被控訴人がこれを取りかえる等の措置をとらなかつたこと、および、本件ヘリコプターは、シヤフトが長いためローター部の振動が激しく、シヤフトとローターの接続部分がこわれやすい型式であつたのに、被控訴人が完全に整備をしないまま就航させたことを挙げて、被控訴人の安全義務違背を主張する。しかし、前者については、本件ヘリコプターのローター・ブレードが木製であつたことは当事者間に争いがないが、本件事故においてローター・ブレードが一枚が飛散したのは、前記のとおりソケツトの疲労破断のためであり、ソケツトの疲労破断はその内側に存したツールマークに応力が集中したため起つたものであるから、本件事故の原因としてはソケツトにおけるツールマークの存在をとらえれば足り、したがつて被控訴人の安全配慮義務違背の有無もこの点について究明すれば足りることである。(ローター・ブレードを取りかえていれば本件事故は発生しなかつたであろうという事情があれば別であるが、本件証拠上右のような事情は認められない。)次に、後者については、控訴人ら主張のような機体の欠陥がそもそも認められないことは、さきに判示したとおりである。したがつて、右いずれの主張も、これを採ることはできない。
三そこで、先ず、本件事故当時の航空自衛隊におけるH―二一ヘリコプターの整備体系について見るに、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 航空自衛隊においては、航空自衛隊装備品等整備規則および航空自衛隊技術指令書管理運用規則に基づき、航空機の整備基準を定めており、これによると、H―二一ヘリコプターについては、飛行時間あるいは期間をもとにして、次のような整備体系が、設けられ、点検、整備を行うべきものとされている。
(1) 飛行前点検
(2) 飛行後点検
(3) 定時飛行後点検(飛行二五時間毎に行う。)
(4) 定期検査(飛行一〇〇時間毎に行う。)
(5) 定期修理(後記のように一定期間毎に行う。)
(6) 取付品定期交換(後記のように一定期間毎に行う。)
((1)ないし(4)は部隊内で行われ、(5)は民間の航空機会社に委託して実施される。)
(二) 右の定期修理は、アイラン方式(IRAN.インスペクシヨン・アンド・リペア・アズ・ネセサリ)といい、米国空軍に倣つたもので、すべての物の故障状況は、初期故障の時期と摩耗による故障発生時期との中間期に非常に故障の少い安定した安全な時期があるという基本的認識から出発し、その時期、期間を設計側および部隊整備の側双方からの資料に基づいて決定し、それによつて実施される定期修理によつてヘリコプターを安全状態から安全状態へと置くという整備方式であり(したがつて、故障が起つたから修理するという観念に立脚するものではない。)、H―二一ヘリコプターについては、定期修理実施機の優先順位を決する基準として、(A)四五か月以上、(B)三六か月以上四五か月以内、(C)三六か月以内の区分が定められていた。すなわち、同ヘリコプターの使用時間が(B)の期間に達すると、定期修理実施を考慮する期間(定期修理を実施しても良い期間)となり、この期間内でいつ実施するかは航空機の使用計画あるいは他機との整備計画の調整によつて決せられる。(したがつて、整備基準では、定期修理が、あるヘリコプターは最少期の三六か月目に、他のヘリコプターは四五か月目に実施されることが予想されている。)また、右区分は優先順位の基準なので、同時に複数のヘリコプターが(A)あるいは(B)の期間に達した場合、(A)の期間に達したヘリコプターが優先的に定期修理を実施されることに伴い、(B)の期間に達したヘリコプターが定期修理を待つ間に(A)の期間に達することがありうるが、このようなヘリコプターであつても、整備基準上は使用を禁じられていない。さらに、(A)の期間に達したヘリコプターの定期修理をいつまで実施しなければならないかについては、整備基準には定められていなかつた。
(三) 前記取付品定期交換は、部隊における定期検査の段階で、航空幕僚長の発した技術指令書に基づき行われる整備であつて、前記ソケツトについては、飛行使用時間が一五〇時間経過後部隊整備の終つたソケツトと交換され、さらに七五〇時間経過後も同様な交換がなされ、累計一五〇〇時間使用後は廃棄し、新品と交換することになつている。ただし、交換を必要とする場合は、その期限に達する前の最も近い定期検査のときに実施することになつている。
(四) 前記(一)の(1)ないし(3)の点検はもとより、(4)の定期検査においても、ソケツトについては、これを目視および触手して点検するだけで、一々顕微鏡などで精密検査を行うことは、整備基準において義務づけられていなかつた。定期修理においても、同様であつた。
右認定を覆えすに足りる証拠はない。
四次に、右の整備体系の下における整備の状況について検討する。
本件ヘリコプターが昭和三五年七月一三日米国から供与を受けたものであることは、当事者に争いがなく、<証拠>によれば、右供与は無償供与であつたこと、右供与を受ける以前の定期修理は米国空軍によつてなされ、右供与を受けたときついてきたヒストリカル・カードには、前回の定期修理完という記載が存したこと、右供与を受けてから本件事故に至るまでの期間、本件ヘリコプターについて定期修理は行われず、ソケツトの検査は、飛行前、飛行後、定時飛行後の各点検および定期検査において目視・触手による点検は行われたが、顕微鏡等による精密検査は行われなかつたこと、ソケツトの定期交換は、飛行使用期間一五〇時間および七五〇時間の各段階における部隊整備済みのソケツトとの交換は実施されたが、累計一五〇〇時間使用後の交換(新品との交換)は行われていないことが認められる。(右認定に反する証拠はない。)
控訴人らは、航空機の無償供与の場合は、有償供与の場合と異なり、予め精密な点検をしないのが通例であるから、本件ヘリコプターの無償供与を受けた被控訴人は、受入れ後就航前に螢光探傷検査、ダイナチエツク・マグナフラツクス検査等を含む精密検査をすべき義務があるのに、これを行わず、また、三年毎に行うべき定期修理についてもこれを怠り、受入れ後本件事故に至るまで約五〇か月間、定期修理も精密検査も入念な目視点検も行わなかつたから、整備基準に反し、安全配慮義務に違背した、という。
しかし、先ず、受入れ後就航前に精密検査をしなかつたとの点については、―受入れが有償、無償のいずれによるとを問わず―就航前に控訴人ら主張のような精密検査を行わなければならない整備体系上の義務が存したことは、証拠上認めえないから、右精密検査をしなかつたことをもつて、整備基準に反したものということはできない。(整備体系上右のような精密検査をなすべきことを定めて置くべきでなかつたかは別問題であるが、これについては、後に判断する。)次に、定期修理をしなかつたとの点についても、定期修理に関する整備体系の定めは前記認定のとおりであるから(したがつて三年毎に定期修理の義務があるとする控訴人らの主張は当らない)、本件事故の発生した昭和三九年九月一〇日まで定期修理が行われなかつたことをもつて、整備基準に反したものと認めることができないばかりでなく、<証拠>によれば、被控訴人は、米国から定期修理の上供与にかかる本件ヘリコプターの引渡を受けた後、直ちに運航の用に供せず、いつたん航空自衛隊入間基地の格納庫に格納し、防錆剤を塗布し、エンジン、回転部分も入念に点検整備した上、昭和三六年に格納を解除し、航空自衛隊芦屋基地に配備したこと、右格納期間は整備基準上定期修理をなすべき期間から控除して計算されること、ならびに、整備基準上本件ヘリコプターは本件事故後一、二か月後に定期修理が行われる計画であつたことが認められるから、本件事故が発生したのは、前回の定期修理から四三か月ないし四四か月後と推認され、控訴人ら主張のように五〇か月後と認めることもできない。なお、控訴人らは、被控訴人が入念な目視点検を行わなかつたと主張するが、ソケツトについて飛行前、飛行後、定時飛行後の各点検および定期検査に際し目視・触手による点検が行われたことは、前記認定のとおりであり、該点検が整備基準の趣旨に反し疎略に行われたことを窺うべき資料は存しない。
また、控訴人らは、本件ヘリコプターの総飛行時間は一六八八時間五五分であるから、ソケツトの使用時間も同時間とみるべきところ、整備基準においてはソケツトの累計時間が一五〇〇時間に達すれば新品と交換すべきことが定められているから、被控訴人は整備基準に反し、安全配慮義務に違背したという。
しかし、<証拠>によれば、本件事故当時のソケツトの総飛行使用時間は、一〇六〇時間余であつて、一五〇〇時間に達していないことが認められるから、被控訴人がソケツトの新品交換を行つていないことをもつて、整備基準に反するということはできない。
なお、航空機にとつて整備がきわめて重要であり、整備不良が事故に直結する危険が大きいことはいうまでもない。そこで、本件事故後行われた前記航空事故調査委員会の調査結果について見るに、<証拠>によれば、航空自衛隊においてはフオームと称する一定の形式の報告書に、航空機の整備状況は、整備担当者によつて、飛行状況、飛行状態は、パイロツトによつて、それぞれ記録されるが前記航空事故調査委員会が、本件ヘリコプターのフオームを過去にさかのぼつてすべて綿密に調査したところ、本件ヘリコプターは、前記整備体系に従つた整備がなされ、この点での何らの手落ちもないと判断されたことが認められ、また、本件事故直前の本件ヘリコプターの状況について見ても、<証拠>によれば、本件ヘリコプターについて飛行前整備済みであることが確認されたことおよび本件ヘリコプターについて飛行前何らの異常も認められなかつたことが認められるのである。
したがつて、被控訴人には整備基準に反した事実が認められず、この点についての被控訴人の安全配慮義務違背は認められないというべきである。
五上記のように、被控訴人には整備体系上の定めに違反した事実は認められない。それにもかかわらず、本件ヘリコプターのソケツトに存したツールマークに起因して、本件事故が発生し、悲惨な結果を生じたのである。そこで、前記整備体系そのものに不備がなかつたかどうかについて、さらに慎重に検討する必要がある。
この点に関し、控訴人らは、ソケツトの航空機部品としての重要性にかんがみ、整備体系上、ヘリコプターを受入れる場合には受入れの時点、受入れ後は、定期検査、取付品定期交換、定期修理の各時点において、ソケツトをローター・ブレードから取り外し、精密検査(顕微鏡による検査、螢光探傷検査、ダイナチエツク・マグナフラツクス検査、磁気探傷検査等)ないし化学的作用を利用した検査をし、場合により即時運航を中止しなければならない等の特別規定を設けて置くべきであつたのに、本件事故当時の前記整備体系にはこれらの定めが設けられていなかつたので右整備体系は不合理、不完全なものたるを免れない、と主張する。
本件事故の原因となつたツールマークは、前記認定のように、ソケツトの製造過程における切削工具による極めて微細なきずであつて、本件事故後航空事故調査会においてなされた右ソケツト破断面の顕微鏡による検査において、それがソケツト内側段ちがい部分に応力の集中を避けるためつけられた曲面に存在していたことが、はじめて発見されたものである。したがつて、右ツールマークは、手で触れても判らず、肉眼で発見することも無理であり、本件事故前にこれを発見しうる可能性としては、顕微鏡による精密検査のほかはなかつたということができよう。
しかし、このことと、顕微鏡による精密検査の義務づけ規定を設けなかつた整備体系の当否とは、別の問題である。けだし、整備体系は、航空事故の防止を最大の目的として周到に立案、作成せられるべきであるものの、航空機用部品は、高度の精密性のある工場において生産され、かつ、高度の品質管理と検査のもとに出荷されるのが一般であるから、当該部品に故障が発生しやすいというような特段の事情がない限り、右部品の品質に信を置き、受入れ後(一定時に)一々顕微鏡等による精密検査を行うとしない整備基準を定めることも十分考えられるところであり、このような整備基準を定めたからといつて、その整備体系を直ちに不合理、不完全であると断ずることはできないからである。
ところで、<証拠>によれば、H―二一ヘリコプターは、すべて前記のような高度の精密性のある工場で生産され、かつ、高度の品質管理と検査のもとに出荷されたものであること(本件ヘリコプターが米国バートル社の製作したものであることは、当事者間に争いがない)、ソケツトにツールマークがあるなどによる本件と同一または類似の事故は、本件事故以前わが国においても、米国においても一例も報告されていないこと、および本件のような事故は、事故発生当時全く予測されなかつたことが認められる。
右事実に、さきに認定したアイラン方式の基本観念、フオームによるチエツク・システム、ヒストリカル・カードの存在ならびに弁論の全趣旨をあわせ考えると、本件事故当時、航空自衛隊においては、航空機工場において製作されるH―二一ヘリコプターおよびその各部品は、すべて高度かつ精密な製作過程と厳重な検査、管理を経て出荷されるもので、その品質は安全性が高く、瑕疵がないことを前提として、受入れ後の整備の万全を期することに整備体系の策定の基本を置いたこと、前記整備体系は、このような考えに立ち、航空機整備に関する過去の経験を生かしつつ、かつ、各部部品の耐久性についても配慮して、飛行時間あるいは期間毎に点検、検査、修理および取付品交換を行うことを定めたが、これらの組合わせはアイラン方式に立脚しており、フオームと相まつて、ヘリコプターの安全確保を図つたものであること、前記整備体系はこのように作られたため、部品の目視・触手点検、飛行状況、飛行状態による異常の有無の確認等によつて故障の有無に細心の注意を払うべきことを定めたものの、(一定時に)一々顕微鏡等による精密検査をしなければならないとは定めなかつたことが認められるのであつて、これらのことからすれば、前記整備体系には十分の合理性が認められ、これを不合理、不完全なものとみなすことはできない。(本件事故が起つた結果からすれば、ソケツトの新品との交換あるいは定期修理をより早期に行うよう整備体系に定めて置けば、事故は起りえなかつたであろうと考えられないではないが、右交換および定期修理については、前記のとおり航空機整備の過去の経験、部品の耐久性の検討、アイラン方式の考え方等に基づいてその各時期が定められているのであつて、整備体系所定の右時期を不合理、不完全と認めることはできない。)
控訴人らは、本件ヘリコプターが米軍から無償供与されたものであることを挙げて、とくに受入れ後精密検査の必要をいう。しかし、米国が無償供与か有償供与かによつて、ヘリコプターのような航空機の整備・検査について差を設けているとは考え難く、そのような事実は、本件証拠上認められない(かえつて、前記アイラン方式はもともと米軍の採用した方式であり、米軍はこの方式によつてすべての航空機について整備・検査をして、その安全を図つていたことが認められる)から、前記整備基準の当否の判断上、米国から無償供与されるヘリコプターを別異に考える必要を見ない。
また、控訴人らは、本件事故後、ヘリコプターの整備基準が改められたことを挙げて、事故当時の整備体系の不合理、不完全の証左であるという。しかし、整備体系は固定的なものでなく、過去の経験、とくに同機種に発生した故障、事故等を重要な参考として、逐次改正されてゆく性質のものであるから(念のため、本件事故後の改正点を見るに、<証拠>によれば、部隊で行う検査は、異常などの認められないかぎり従来と同様目視または触手検査が原則であり、異常着陸、エンジン部分のトラブル、ローター、ブレードの異常等の場合には、マグナフラツクス検査、ダイナチエツクまたは螢光探傷検査を行うものとされるようになつたことが認められる)、右改正がなされたことをもつて前記整備体系の不合理、不完全を推認しえないことは、いうまでもない。
したがつて、整備体系そのものに不備があつたことも認めえないところであつて、これを理由とする控訴人らの安全配慮義務違背の主張は、採用することができない。
六なお、控訴人らは、本件ヘリコプターの運航上の担当職員であつた長島国雄、竹崎康允および福島福二が各自負担していた職務上の任務を著しく懈怠し、その不行為が相競合したため本件事故を惹起するに至つたものとして、被控訴人の安全配慮義務違背を主張する。
しかし、右三名が本件事故当時控訴人ら主張のような職にあつたことは当事者間に争いがないが、控訴人らの右主張は、その全趣旨に徴すると、本件において控訴人らが被控訴人に安全配慮義務違背があるとする上記多岐にわたる主張を、右担当職員らの個々の職務にあてはめて言い直したにすぎないものと認められる。したがつて、これに対する判断は、すでに上記に判示したとおりである。(念のため付言するに、右長島および福島が本件ヘリコプターの全機能が相当疲労していたことを知つていたこと、および右竹崎が右ヘリコプターのローター・ブレードが相当疲労し、機体に異常を来していたことを知つていたことは、いずれも本件証拠上認められない。)したがつて、控訴人らの右主張は理由がない。
七以上、要するに、被控訴人には、控訴人ら主張のような安全配慮義務違背は認めがたく、他に全立証によつてもこれを肯認することができない。
第三以上、説述したとおり、被控訴人には控訴人ら主張のような安全配慮義務の違背は認められないから、控訴人らの本訴請求は、当審における予備的新請求を含めて他に判断を進めるまでもなく、理由がないものとしてこれを棄却すべきであり、これと同旨の原判決は、相当である。
よつて、控訴人らの本件各控訴を棄却するとともに、当審における予備的新請求を棄却することとし、控訴費用(当審における予備的新請求に関する分も含む)の負担について、民事訴訟法八九条、九五条、九三条を適用し、主文のとおり判決する。
(大内恒夫 森綱郎 奈良次郎)